忍者ブログ
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

高3の時、アテネ五輪があって、同年代の卓也も挑戦したし、他にも、当時逆立ちしても勝てない人達が挑戦して、でも誰も出られなかった。
その時初めて五輪に出たいっていう想いが芽生えた。

4年後の北京五輪では富山で最終選考に引っかかって、アジアの最終予選の決勝をゴールした時、「北京五輪の切符取った!」って思ったんだよな。
でも一輝の追い上げの方が凄かった。
北京五輪が指の間をすり抜けて行った。
これが幸せと不幸の始まりですな。

その4年後のロンドン五輪も2011年に最終予選まで進んだけど、そもそもの実力が足りなかった。
その4年後のリオ五輪は2015年の国内選考はだいぶ調子良かったけど、アンラッキーか自分の反応が遅かったのか、崩れる波にのまれて世界選手権には進めなかった。
でもそんな事は僕のモチベーションには関係なかった。
だって東京でオリンピックがあることがずいぶん前に決まっていたから。
長らく代表からは離れていたけど、そんな小さな事も僕のモチベーションには関係なかった。
応援してくれる人達がいて、幸せな選手生活を送らしてもらっていたから。
競技生活の9割以上は成績が出なかったので、そんな時にやるべき事は誰よりも良く知っている。
「黙って練習し続ける。」
立ち止まったらそこで終わりだけど、前に進み続ける限り、何かが必ず起こる。
東京五輪、全てがこの為にあったんじゃないかと思う程、それまでの全てがハマり、最終予選に進んだ。
長くやっている経験を全部発揮して、全力で挑んだ。
それでも届かなかった。

届かなかった原因ははっきりわかっている。
時間内に終わらせるという僕の能力が足りなかった。
もっと昔からチームを組んで、大勢の脳みそで効率的にやっていたら、あるいは。。。

長々チラシの裏に書いて何が言いたいかっていうと、
チーム金谷徹の例は決して特別ではなく、再現性の塊。
失敗が90%以上で、ここに至るのに25年も掛かってしまったけど、条件が揃えば誰でもここまでは辿り着けるっていう事。
しかも既に前例があるから、かなり簡略化できて、そんなに時間も掛からないはず。
その先は新しい選手と僕たちでまた作り上げていけば良い。
土台がしっかりしてる分、高い建物が建つことしか想像できません。

ということで、僕の立場は変わるかも知れませんが、この先もカヌースラローム界にいますので、誰か一緒にやりましょう。

もう既に何人かの選手と走り出しているので、その選手たちを観てからでもいいので、みんな一緒にやっちゃいましょう。
PR
HOMENext ≫
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
カテゴリー
フリーエリア
最新CM
[03/13 ドルチェ&ガッバーナ コピー 激安]
[02/17 ビジネスシューズ コピー]
[02/07 シュプリーム tシャツ]
[02/01 carissaKa]
[01/29 バレンシアガ スーパーコピー]
最新TB
プロフィール
HN:
金谷 徹
年齢:
37
性別:
男性
誕生日:
1986/12/25
職業:
Pro Canoe Slalom Athlete
趣味:
マンガ
自己紹介:
ちゃうねん。
カヌーやなくてカヤックやねん。
別にどっちゃでもええけど。
レジャーちゃうで。
プロやねん。
バーコード
ブログ内検索
P R
カウンター
忍者ブログ [PR]
Copyright(C) トールがとーる All Rights Reserved